「パパ、直して!」
私は、いつでもどこでも4人の小さな息子たちにそう言われ、その度に出来る限り何でも直してきました。皆さんも、何かが壊れて困ったり、それが直らなくて落ち込んだり、あるいは時間を忘れて修理をした経験があるのではないでしょうか。
私たちの世界の中には、たくさんの「壊れ」が存在しています。1
実際、国々は壊れています。また地域のコミュニティや家族関係も壊れています。さらには人の身体さえ、衰え、壊れていくものと言えます。私たちは身体の機能が徐々に衰退していくことに抵抗して、運動したり食事に気をつけたりしますが、その努力にもかかわらず老化は進んでいきます。年を取れば取るほど私たちの身体は、回復に長い時間を要し、そして最後には息絶えます。結局、私たちは埃や影に過ぎません。
私たちは、どのようにこの世界の壊れに向き合えばいいのでしょうか?
シリアでの戦闘、ウクライナでの爆撃、ヨーロッパ難民問題、米国での銃乱射事件…
ニュースは毎日、世界中の様々な崩壊の悲劇を伝えています。平和と言われる日本さえも、例外ではありません。最近では、日本の凶悪犯罪も世界中で報道されているのが現実です。
暴力的で傷ついた世界を癒すことは可能でしょうか。
自分の力では完全に癒すことの出来ない痛みや心の傷を持っている私たちが、本当の平安に至る道はあるのでしょうか。
日本の芸術は、その答えを私たちにそっと語りかけているように感じます。
7世紀の聖徳太子は「病は、病に依て救われるのである」と書きました。3 別の言い方をすると、「傷は傷によって癒す」または「壊れは、壊れによって直す」ということです。平安への道は、壊れを避けるのではなく、むしろ、これを通して癒しに至るのだと考えられています。日本ではこのように、壊れを避けるのではなく、壊れを生かし、よりよく生まれ変えさせてきました。この道は、癒しと贖いに至る道です。
「金継ぎ」は、金粉でひび割れを修復する方法です。割れた部分を金で継ぐことにより、器は元よりはるかに価値のある物になります。日本画では、鉱物を粉砕することで、色が輝き、鮮やかになります。また、『さくらさくら』、『古城の月』、『通りゃんせ』などのメロディーは、半音が外れることで不協和音を奏で、逆に不気味な美しさを醸し出しています。4
壊れゆくものの中にあらわれる美は、日本の詩や文学、生け花、墨絵、枯山水などに表現されています。この静かな美しさは、萎れた花、落ちる前の露の雫、溶けてゆく雪の結晶、桜が散りゆく時の潔さに見受けられます。
その中でも私は、一杯のお茶に、感動的な芸術性を見出しました。
来日してほどない頃、どうしてお茶がこんなにもあるのか理解できませんでした。緑茶、紅茶、麦茶、ウーロン茶、ジャスミン茶、抹茶、ほうじ茶、ハーブティー、ミルクティー…。とんでもないことを日本語では「無茶だ」と表現します。これはお茶がないという意味です。お茶を飲まないなんて、確かに無茶です!ブラウンの色は「茶色」と言います。でも、「コーヒー色」という言葉はありません。
1773年、ボストン茶会事件があったマサチューセッツ州ボストン市の近くで私は育ちました。この時アメリカは、イギリスへの税金の支払いから逃れるため、輸入した紅茶の全てをボストンハーバーに投棄しました。この行為によって、アメリカは独立への道を作りました。私の故郷の近く、レキシントン市の住民は、賛同を示すために食器棚からすべてのお茶の葉を街の公園で燃やしました。その後、アメリカはお茶の文化を取り戻すことができず、最も親しまれる飲み物はコーヒーとなりました。5
日本に来るまで、私はお茶の持つ奥深さを知りませんでした。お湯と葉。これ以上シンプルな飲み物はありません。その色と香り、そして味わいは、熱湯によって、茶葉が砕かれることによって生まれます。「砕かれた葉」は、破壊と美の不思議な関係を明らかにします。
元来、お茶は薬でした。茶葉が砕かれていく過程で、治癒力が生まれるのです。現在でも人々は体の調子が悪い時、コーヒーではなくお茶を飲みます。お茶は病んだ社会のための薬のようです。熱湯のような荒々しい暴力によって壊れている世界の中に生きる私たちには、「砕かれた茶葉」のような癒しが必要です。
1500年代後半、千利休はこのシンプルな飲み物の芸術を極めました。利休は人と壊れた世界を象徴する「茶道」を明確にし、コミュニティを癒す方法として提示しました。小さな茶寮にほんの数人が集まる時、そこには何か霊的なものがあったのでしょう。
東京国立博物館で、私は千利休の茶道具の展示を見たことがあります。黒い楽焼の茶碗、切り花を入れる竹の花器、水指などがありました。6 これらは荒く、いびつで自然の中にある壊れを形にした物でした。
特に水指は、縦に大きなひびが入っており、まさに「壊れた」姿でした。しかし、これは土が乾く時に自然にできたひびであり、作られた当初からこのような物でした。
利休のメッセージは明確でした。「壊れ」そのものが重要なのです。「壊れた茶器」は自分の弱さを認識することの象徴であり、それは癒しと平和に至る必要なステップだと考えました。
千利休は、日本の歴史の中でも激動の戦国時代を生きました。利休の芸術は、当時の暴力に対する応答でした。しかし、彼の人生は悲惨なことにまさに暴力によって幕を閉じました。70歳の時、利休は豊臣秀吉から茶室で切腹を命じられたのです。7
利休の命と死を覚える時、私はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの生涯と死を思い出します。彼は、利休のように、社会的不安がいっぱいの時代を生きました。アメリカは、人種差別という不正に引き裂かれていました。人種隔離や差別は、人々の人生や文化が生まれるコミュニティを破壊しました。
公民権運動のリーダーたちは、平和的な方法で和解を要求しましたが、非暴力の道は、同時に自分の立場を弱くさせる犠牲が伴う道でもありました。デモ隊は催涙ガス、鞭、警察犬、高圧消火ホースで攻撃され、投獄されました。キング牧師は、生涯通して、死に至るまで、このような暴力を受け続けました。
1968年4月4日に、キング牧師はライフルで暗殺されました。8 銃弾が彼の頬、顎、およびいくつもの椎骨を貫き通して肩にくいこみました。キング牧師の非暴力の道は暴力によって終止符を打たれました。
キング牧師が殺される前夜、彼は自身が自己犠牲の道を歩むことで全国民を癒すのだと民衆を励ましました。彼の有名な『私は山頂に行った』というスピーチは、以下のように終わります。
「これから何が起こるかは分かりません。困難な日々が待っているでしょう。しかし今そんなことはどうでもいい。なぜなら私は山の頂上に登ったからです。だから気にしません。誰もが思うように、私も長く生きたいと思っています。長生きはいいものです。でも今それはどうでもいい。私はただ、御心を行いたいのです。神は私が山に登ることを許してくださいました。私は山の向こう側を見ました。約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒にそこへ行き着くことはできないかもしれません。しかし今夜、覚えておいてください。私たちは必ず一つの民としてその約束の地へたどり着くのだと!だから今夜、私は嬉しいのです。何も心配していません。誰のことも恐れていません。主の再臨の栄光をこの目で見たのですから!」
キング牧師は、スピーチの最後で「主の再臨」について話しました。この主とは、「私の体はあなたのために裂かれている」「私の血はあなたのために注がれている」と言った後、十字架に架けられたイエスキリストです。
「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ書53章5節)
火傷するほどに熱く、暴力に満ちたこの世界のために、キリストは十字架に掛けられました。壊れた世界は、砕かれた神によって癒されるのです。イエスはまさに、治癒をもたらす癒しの茶葉です。
私の次男のイステン・アセラスの名前は「東の中の癒し」という意味です。アセラスはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング)という物語から取りました。
「黒い吐息が吐かれたら、
死神が陰を広げたら、
光がすっかり消えたらなら、
アセラス、おいで!王の葉、ここに!
絶える息の緒、蘇らせよ、
王様の手に渡されて。」10
王の手の中で、アセラスと呼ばれる植物の葉を揉むと、傷が癒され、想像を絶する希望と贖い(回復)がおとずれるのです。
聖書の黙示録によると、天国には特別な葉があります。
「川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって…その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。」(黙示録22章2−3節)
このいのちの木はどんな木なのでしょう。木の葉は茶葉になるのでしょうか。天国にあるこの木の葉で、私たちが一緒にお茶を飲むことができるのでしょうか。
熱いお茶の中にある、砕かれた葉に深い真実があります。一杯のお茶を飲みながら、このことを思い巡らせてみませんか。
NOTES
1 英語で「ブロークン」は一般的によく使用され、一語で意味が理解されます。しかし日本語でこれを表現する語彙は多岐に渡り、翻訳は大変難しいです。細かく砕かれた、故障した、破壊された、傷ついた、割れた、破れた、折れたなど…。
3 原文は聖徳太子の『維摩経義疏』ですが、私は北森嘉蔵著作『神の痛みの神学』で読みました。
4 二つの完全4度が半音離れたモードの元で、倍音が酷い不協和音となり、不気味な美しさを醸し出します。
5 ある面では、愛国心はコーヒーではなくお茶との関連性を今も維持しています。アメリカの共和党での「ティーパーティー運動」は、支持者側からは高い税金と大きな政府に反対する愛国的な姿勢と受けとめられます。
6 これらの茶道具には各々名前がついています。黒い楽焼の茶碗は「尼寺」(あまでら)という名が付いています。花を持つ二つの竹の花器は「園城寺」(おんじょうじ)です。ひびがあった水指は「柴庵」(しばのいおり)です。
7 利休の残した遺偈は自己犠牲の道が癒しと平安に至る道だというように解釈できるという解説者もいます。
8 キング牧師はテネシー州メンフィス市にあるロレーヌ・ホテルの二階のバルコニーで暗殺されました。全米で最高峰である国立公民権博物館は、その場所に建っています。日本に移住する前に妻と私は、メンフィスに住んでいました。友人がメンフィスに来た時、この場所をよく訪問しました。興味深いことに、キング牧師は暗殺される一週間前にメンフィスに来る予定でした。しかし、20世紀最大といわれた吹雪によってその予定を中止しました。メンフィスは普段全く雪が降らない地域にも関わらず、たった一日で積雪量は43センチ以上になりました。この嵐は、全米中のニュースで放送されました。そして今も人々はその出来事について話します。その短い間、熱湯のように熱い暴力が、その寒さによって冷却されたかのようでした。
9 1968年4月3日にテネシー州メンフィス市にあるメイソン・テンプルで遊説しました。
10 J・R・R・トールキン『王の帰還』上、第8章『療病院』瀬田貞二・田中明子 訳、評論社